資料紹介


中山道歴史資料館の所蔵資料など,中山道や中津川宿に関わる資料を紹介します。



【中津川宿紹介】中津川宿「丸三間家」

◆中津川宿「丸三間家(はざま酒造)」  「式内恵奈山上道」の道標(みちしるべ)の相向かいにある卯建の立派な建物が丸三間家(はざま酒造)です。この場所での酒造りの... ()

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【中津川宿紹介】中津川宿「卯建(うだつ)・梲(うだち)」

◆中津川宿の卯建(うだつ)・梲(うだち)のある家  中津川宿の本町を歩いていると、隣の家との境に壁を屋根より上までのばし、その壁に小屋根をつけた家があります。 ... ()

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【中津川宿紹介】中津川宿「旧中川家」「式内恵奈山上道」

◆中津川宿「旧中川家(杉本屋)」  横町の枡形角にある杉本屋から、恵那山・川上道が南へ延びた西生寺あたりまで建っていた大きな屋敷が「加納屋中川家」でした。中川家... ()

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【中津川宿紹介】中津川宿「天満屋」

◆中津川宿「天満屋(古井家)」  中津川宿旧横町の古井家は天満屋という屋号で小間物屋を商う商家でした。天満屋といわれるのは、・・・昔、横町の川に神様が流れてきま... ()

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【中津川宿紹介】中津川宿「白木屋」

◆中津川宿「白木屋(横井家)旧山科屋」  江戸時代の面影を如実に残す建物です。  この家は天保13年(西暦1842年)に、先祖の宮大工であった横井弥左衛門(藤原... ()

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【中津川宿紹介】中津川宿「十八屋山十」

◆中津川宿「十八屋山十間武右衛門家」  江戸中期に園田大学が建てたと伝えられており、上がり框や天井の梁などは当時のままです。  今の御菓子処「川上屋」の南隣が... ()

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【中津川宿紹介】中津川宿の町並と枡形

◆枡形(桝形)とは   戦国時代、城の一の門と二の門の間が広く長方形や正方形につくられています。これは、進入してきた敵の勢いを緩めたり、中が直ぐ見通せないように... ()

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【中津川宿紹介】中津川宿の御退道

◆御退道(ごたいどう)とは  本陣は公家、幕府の役人などが泊まったり休憩したりするところでした。だから、その人たちが泊まられたりするときは、本陣の周りは警固が... ()

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【中津川宿紹介】浮世絵「晴れの中津川」と柳の木

◆浮世絵「木曽海道六十九次」  江戸日本橋から京都までの中山道の宿場町を描いた浮世絵「木曽海道六十九次」は、天保6年から8年(西暦1835年~1837年)頃、池... ()

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【中津川宿紹介】前田青邨と中津川宿

◆前田青邨と中津川宿  中津川宿の新町通りに前田青邨生誕の地と記された碑があります。  日本画の最高峰として名高い前田青邨は、ここ中津川宿の中山道沿いの商家(前... ()

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【中津川宿紹介】杉原千畝と中津川宿

◆杉原千畝とは  第二次世界大戦の最中、ナチスドイツから迫害されたユダヤ人。ドイツ国内だけでなく、ナチスの占領下にいたユダヤ人たちは、見つかると強制収容所に入れ... ()

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【中津川宿紹介】渋沢栄一と中津川宿

◆渋沢栄一と中津川宿  中津川宿の先人たちは、近代産業こそ今後の発展の要だと信じ、中央製紙設立に取り組みました。粘り強い努力と、渋沢栄一先生らの応援により、中央... ()

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【中津川宿紹介】天狗党と中津川宿

◆天狗党とは  水戸藩は江戸中期ころから保守派と改革派に分かれて、何かにつけて対立していました。保守派は今までの秩序などを守ろうとする人々で、上級武士が多く、江... ()

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【中津川宿紹介】桂小五郎と中津川宿

◆「やけやま」と桂小五郎  中津川宿には、長州藩の桂小五郎が身を隠していたと伝えられている家があります。そこが、料亭「やけやま」のあったところといわれています。... ()

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【中津川宿紹介】皇女和宮と中津川宿

◆中津川宿と老女花園  皇女和宮を京都まで迎えに出向き、共に下向した御三卿清水家の老女花園は、中津川宿新町の十八屋山半間半兵衛家に宿泊しました。間家でとても親切... ()

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【中津川宿紹介】高札場跡

◆中津川宿高札場  高札というのは人々が守らなければならない法度や掟書を、板に墨で書き、人目のつきやすい高いところに掲示したもののことをいいます。「たかふだ」な... ()

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【中津川宿紹介】中津川村庄屋居宅

◆中津川村庄屋居宅  中津川市中山道歴史資料館(脇本陣跡)の道を隔てた西隣、本陣跡の筋向いが中津川村庄屋、肥田九郎兵衞が住んでいた家です。  中津川村は、7つの... ()

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【中津川宿紹介】中津川宿本陣

◆本陣とは  本陣というのは、もともと、戦場において大将が指揮をとる本部をさすのですが、江戸時代に街道が整備されて、街道には本陣と脇本陣、そして、人、モノ、情報... ()

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【中津川宿紹介】中津川宿脇本陣

◆脇本陣とは  脇本陣の「脇」は、足らないところを補うという意味です。つまり脇本陣というのは、本陣の近くにあり、大きな藩で本陣だけでは泊まりきれない場合や、藩同... ()

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【中津川宿紹介】中山道中津川宿とは

◆中津川宿とは   中津川宿の町並みの長さは約1.1kmで、天保14年(西暦1843年)の古文書によると、宿内人口928人、宿内戸数228戸で東美濃では一番大き... ()

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【資料紹介】道中奉行御条目

◆道中奉行御条目について  この御条目は正徳2(1712)年3月に道中奉行より出されたものです。街道宿駅制の整備を進めていた幕府は、それまでに出した法規を集大成... ()

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【資料紹介】和歌日記

◆和歌日記 間秀矩著(47×63㎝ 個人蔵) やまはん間家の間秀矩は、京都をはじめ江戸等へ商用等で旅をする際は、必ずきめ細かな道中日記を認めました。馬籠出身で日... ()

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【資料紹介】御江戸の彩色絵図

◆萬壽御江戸絵図(72.3×99.5㎝ 個人蔵)  この地図は元治年間(1864年~1865年)に作られた江戸の木版多色刷り絵図です。江戸城を中心にして各大名屋... ()

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【資料紹介】江戸時代の名所案内書 名所図会

◆都名所図会「大文字の送り火」(個人蔵)  京都出身の読本作者である秋(あき)里(さと)籬(り)島(とう)は、数々の名所(めいしょ)図会(ずえ)を刊行しています... ()

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【資料紹介】江戸時代後期に流行った日本地図

◆改正日本輿地路程全図(個人蔵)  「改正(かいせい)日本輿地(にほんよち)路程(ろてい)全図(ぜんず)」は江戸時代後期に流通した日本地図です。最初に「日本輿地... ()

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【資料紹介】江戸時代の人々も使った旅のガイドと絵図

中仙道善光寺御宿附(なかせんどうぜんこうじおやどつけ) 上の資料は,「中仙道善光寺御宿附」というもので,四国の金毘羅から京都の伏見,中山道を大津から板橋までの... ()

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【資料紹介】大名行列と本陣・脇本陣・問屋

大名が、江戸と国元を1年ごとに往復する制度が参勤交代です。大名が通行する街道、通行する月は、幕府から指定されていました。各大名が同時に通行しては、街道が混雑する... ()

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