

戦国時代、城の一の門と二の門の間が広く長方形や正方形につくられています。これは、進入してきた敵の勢いを緩めたり、中が直ぐ見通せないようにしているのです。だから、城下町にはたいてい、この形が今も残っています。今と違って、いつも敵の攻撃と守りの方法が考えられていました。
江戸時代に制定された宿場町は、一種の城塞の役割も持たされてつくられ、宿場の出入口などに枡形が設けられました。宿場町の枡形とは、街道を二度直角に曲げ、外敵が進入しにくいようにしたものです。
中津川宿も、宿場の入口から本陣や脇本陣のある中心街が、直ぐ見通せないようにつくられています。
中山道歴史資料館のある本町を中山道に沿って東から真っすぐに来ますと、突き当りで直角に南に折れ、間酒造さんに突き当り、そこを直角に西に折れ、中津川橋へと続いています。このように中津川宿の端の道を鍵の手に、二回直角に折れ曲がっているところを桝形と呼んでいます。
掲載(最終更新 : 2020年12月25日)