【中津川宿紹介】前田青邨と中津川宿



◆前田青邨と中津川宿

 中津川宿の新町通りに前田青邨生誕の地と記された碑があります。

 日本画の最高峰として名高い前田青邨は、ここ中津川宿の中山道沿いの商家(前田家)の二男として生まれました。幼い時から絵が上手で、画家を志し、16歳のとき上京しました。作家 尾崎紅葉の紹介で画家 梶田半古の絵の塾入るためです。明治35年、17歳で第7回日本美術院展に武者画「金子忠家」が入賞し、師の判古から「青邨」という雅号をもらいました。

 青邨は、明るく闊達な性格で、誰とでも気持ちよく談笑したと伝えられていますが、「自分のすべては、絵の中にある」として、記録、語録をほとんど残していません。

◆前田青邨の紹介IMG_0267H.jpg

 中津川歴史資料館の展示室入口にある「郷里の先覚(せんかく)」(複製)の肖像画は、中津川宿を代表する市岡(しげ)(まさ)と間秀矩(ひでのりです。この二人の肖像画を描いたのが、前田青邨です。前田青邨は明治、大正、昭和を生きた日本画の第一人者で、火災によって無残に煤けてしまった法隆寺金堂壁画の復元、極彩色の壁画が見つかったことから国宝に指定された高松塚古墳の模写など、国家事業の代表責任者なりました。その前田青邨は私たちが住む中津川の出身でした。

 この肖像画は1947(昭和22)年に描かれたものです。太平洋戦争中、中津川に疎開してきた青邨は、郷里の歴史をあらためて学び、新しい時代を切り開くために命をかけたこの二人の人物のことについて深く知り、感銘をうけます。その感銘をもとにして描いたのがこの「郷里の先覚」です。

 これ以後青邨は、毎年のように故郷中津川を訪れ、郷里の自然や街並み、なじみ深い人たちなどをスケッチしています。疎開した郷里での経験、学び、そしてその集大成として院展に出品したこの作品の完成は、青邨にとって"ふるさと中津川"に対する誇りと愛着をより一層深めるものだったのではないでしょうか。



掲載(最終更新 : 2020年11月 3日)

中津川市中山道歴史資料館
〒508-0041 岐阜県中津川市本町二丁目2番21号 メールによるお問い合わせ
電話 0573-66-6888 ファックス 0573-66-7021