【中津川宿紹介】中津川宿本陣



◆本陣とは

 本陣というのは、もともと、戦場において大将が指揮をとる本部をさすのですが、江戸時代に街道が整備されて、街道には本陣と脇本陣、そして、人、モノ、情報を運ぶ仕事をする問屋場がおかれるようになりました。

 本陣は大名だけでなく、勅使(天皇のおつかい)・院使・宮・公家・旗本など身分の高い人々が休止したり宿泊するところでした。現在中山道で旧来の本陣の残っているのは、小田井・芦田・長久保・和田・下諏訪・落合・御嵩・草津の八宿となっています。

◆中山道中津川宿本陣

 中津川宿本陣は現在の中山道歴史資料館(脇本陣跡)の前にありましたが、今は残っていません。

 中山道中津川宿本陣を任されていたのは、奈良時代に中津川に来た市岡家の人々でした。

 皇女和宮も文久元年(西暦1861年)10月29日(現在の11月)午後4時頃に中津川宿に到着し、中津川宿本陣にお泊りになられました。その日は夜中に雨がひどくなり、翌朝の出発から昼まで続きました。

◆中津川宿本陣の見取り図DSC_0241 本陣間取り.jpg

 本陣跡には間取り図が書かれた案内板があります。それによりますと、本陣の入口には五軒続きの長屋が建ち、その中央の一軒分が門となっていました。門右手の一軒分は問屋場でした。

 内門をくぐると表庭があり、その奥に建物だけでも283坪(約994平方メートル)の本陣がありました。この規模からみて、美濃路の中でも大きい本陣でした。

 表門の正面は内玄関と縁三間半の荷置場があり、その奥が台所、貴人一行自らが調理した所や御膳所がありました。

 玄関の奥には玄関の間、ついで三の間・次の間・中の間・上段の間へと続いていました。上段の間は大名などが宿泊する部屋で、非常時には御退路から西側の大泉寺へ避難できるようになっていました。

 

 



掲載(最終更新 : 2020年10月23日)

中津川市中山道歴史資料館
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