【中津川宿紹介】中津川宿脇本陣



◆脇本陣とは

 脇本陣の「脇」は、足らないところを補うという意味です。つまり脇本陣というのは、本陣の近くにあり、大きな藩で本陣だけでは泊まりきれない場合や、藩同士が鉢合わせになったとき、格式の低いほ方の藩が利用するところでした。

 中津川の脇本陣は「中山道歴史資料館」のあるビルの一区画にありました。森家が享和3年(西暦1803年)頃から、脇本陣、問屋を代々務めていました。明治になって6代目孫右衛門が初代中津川郵便取扱所長を務めています。また、明治13年(西暦1880年)明治天皇が旅行されたとき、休憩されましたので、「明治天皇行在所」という碑が入り口に立っています。さらには、明治15年(西暦1882年)自由民権運動を起こした板垣退助たちの演説会場にもなりました。

 現在の建物は、由緒ある「上段の間」の部屋と「土蔵」が移築保存されたものです。平成20年(西暦2008年)森家から土地と建物の寄付を受け、宿場の機能・様子を伝える施設として整備しています。

◆脇本陣森家の由来脇本陣前 当時.jpg

 森家の先祖は安土桃山時代に活躍した戦国武将森長可の一族といわれています。森長可は織田信長に仕えた美濃金山城(現可児市)城主。天正12年(西暦1584年)小牧・長久手の戦いで死亡しています。

 森家に伝わる古記録によると、貞享元年(西暦1684年)頃に、恵那郡岩村から中津川宿の下町に移り住み、屋号は岩村屋といいました。中津川に居を構えるころから相当の財力を持っていた森家は、中津川宿本町の家屋敷を買い求め、享和3年(西暦1803年)に脇本陣、問屋を代々務めるようになりました。(右の写真は、かつての脇本陣です。)

◆土蔵脇本陣土蔵 100_0099.jpg

 ナマコ壁を有する2階建ての土蔵は、4間3尺(8.1m)、2間3尺(4.5m)の大きさであり、中津川宿の旧家の面影を色濃く残しています。整備に当たっては、2階の床を撤去して土蔵内の柱、粱の骨組み板張をそのまま残し、「古文書」「絵画」「長持ち」など森家に関する資料を展示しています。

◆上段の間

 江戸時代から実際に使用されてきた「上段の間」(床の間、書院棚付き畳8畳)と「御手水所」を復元しています。脇本陣一部の再現ですが、建具、柱、欄間などを再利用し、奥座敷の風情鑑賞していただくため、「上段の間」に繋ぐ8畳の部屋と土間、板縁を設けました。                                   

脇本陣上段の間  IMG_0211.jpg



掲載(最終更新 : 2020年10月30日)

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